『保守の怒り』の求めるもの
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保守の怒り (天皇・戦争・国家の行方) (2009/12/01) 西尾 幹二平田 文昭 |
『保守の怒り――天皇、戦争、国家の行方』(草思社)について直販方式の月刊誌『THEMIS』1月号が大きくとり上げてくれた。この本の要約文ともいえる私の約1500字の短文がそのまま掲載されている。
一般書店では売っていない雑誌ではあるが、紀伊国屋新宿南口店、三省堂本店、八重洲ブックセンターなどでは店頭販売もされているらしい。私の短文はしばらく時間を置けばブログに掲示することも許されよう。
『保守の怒り』は第一章 保守の自滅、第二章 皇室の危機、第三章 保守よ娑婆に出よ、が示すように、余りに内容が多岐にわたり、いつもの私の本と違って友人との対談本でもあるので、メディア側はどう扱ってよいのか、判断がむつかしいのかもしれない。今の処、上記『THEMIS』以外には論評が見当らない。
だが、私の近い友人たち、例えば坦々塾の会員諸氏はよく読んでくれたし、論評も寄せてくれた。全部紹介するわけにもいかないので、その中から一つだけ表現の卓抜な一文をご紹介しよう。
正面から読める人だけが読める本『保守の怒り』
坦々塾会員 伊藤 悠可過日、『保守の怒り』が郵便箱に届いていたので、直ぐに先生に御礼の電話。二、三の短い会話をして「一日余裕があるので読了します」と伝えたところ、先生は「一日で読めるかなあ?」と仰言った。対談本なら眼を追うのは速いほうだから、何だろう。難解なのだろうか、とその夜は開けずに寝た。
翌々日、他の用事は放っておいてこの本に一日をあてたのだが、眼では読めない本であった。寝ころんでは読めない対話だった。体をかわしたら平田文昭さんが脇差にも手をかけており、両刀差しの先生が後ろに控え腕組みしてこちらを見ているというような本であった。
「保守というのは結局、こうあらねば」などといった暇な感想をそもそも二人はゆるしていないし、第一これは「保守よ目覚めよ」といった保守のために蒙をひらくご親切本ではない。むしろ、“真正”だとか“正統”だとか“本家”だとか好きなように御託を並べてやってきた自称保守と心情保守のすべてに向けられた二人の刃のようだ。下手に近寄ったら致命傷を負うことになるから、つらいかもしれないが正面から読める人だけ読みなさいと薦められる最近では遇ったことのない重く危険な本である。
進んでは立ち止まり心臓が高鳴って眼を澄ませて、やはり一日では終わらなかった。
まあそうだろう。簡単には扱えない本であるというのはたしかにそうだと思う。年末に3日かかったとか、5日かかったといった声を耳にした。伊藤さんは内容について触れていない。この本の精神、姿勢、あるいは態度にのみ言及している。それでよいと思う。ありがたい批評だ。
内容に踏みこめばきりがないほど多数の主題が語られていて、戸惑いもするし、混乱もしよう。二度か三度かくりかえし読むことを本そのものが求めている。きっと再読して再発見はあり、損はしない。『THEMIS』1月号の私の短文をお読み下さり、その上で再読していたゞくとすっきり分って、気持もおさまるかもしれない。
伊藤さんの上記引用文がネットに出てから8日後に、同じ坦々塾の宮澤妙子さんが次のようなコメントを寄せてくださった。
伊藤悠可さんが表現されている様に、正に戦後の保守に刃が突きつけられた本でした。
P142「こと典範問題に関しては、天皇陛下であろうとも従わなければならない掟というものがあると私は考えます。それは万世一系の天皇という男系の皇統というものを守るという一点において、過去の天皇家はどんな無理でもしたわけですよ。・・」(西尾先生)
P144「300万人が命を捧げ、それに数倍する者が、あるいは不具になり生活の資を失い家族も仕事も失って、それらを捧げてまで守ってきた皇室を、嫁のわがまま、跡継ぎの身勝手のやり放題に放置して損なうなら、春秋二回靖国神社にお差し遣わしになっている勅使は、どの面さげて英霊にまみえたらいいのでしょうか。」(平田氏)
皇室の存続を願うお二人の、悲痛な叫びとも思える上記の箇所は、両陛下に是非とも読んで戴きたい。P107「私は『国民の歴史』の中で、戦争に敗れたのは「戦後の戦争」であるという説を立てましたが、今新たに起こっていることは戦後の戦争に次ぐ「戦後の第二の戦争」であるといえる。つまり、中曽根以降にもう一回戦争が行われていて、戦後の戦争がもう一回行われてきた、そういうことですよ。再占領政策というのはそういうことで、それが知らないうちに、誰も気がついていないうちに行われているということですね。」と西尾先生が指摘されている様に、戦後の保守は負けた。負けを潔く認め、なぜ負けたのかの検証をしなければ「戦後の第二の戦争」に勝つことはできません。勝つためにタブー無き議論から始めなければいけないと思いました。
全編にわたり、西尾先生・平田氏がどんな非難をも受ける覚悟で書かれた本です。
Posted by 宮澤妙子 at 2009年12月18日 19:08
「タブー無き議論」というこのことに異和感ないし抵抗を示す保守派の人々が今も相変わらず多数いるように聞いている。しかし、日本再生のために今こそ明治維新の精神を甦らせよ、草莽の志士よ出よ、とことごとに叫ぶ人が増えている時代ではないか。
明治維新は天皇家の再興に始まった。そこに至るには白熱の議論があったはずだ。既定の路線をすんなりと安全に歩んで歴史は動いたのではない。ご皇室はこれからどうあっていたゞくべきかは、幕末においても、現代においても、熱闘と論争と実行の嵐を潜らねばなるまい。「タブー無き議論」は余りにも当り前のことではないか。こう考えると『保守の怒り』のレベルではまだまだ手ぬるいのである。
ものごとの考え方を替えなければいけない。さもないと日本は本当に自滅する。
テレビとインターネットと衆愚社会の時代には、勿論、幕末とは異なった方式や戦術が求められることは明らかであろう。たゞ、精神的態度ないし姿勢は、200年前と恐らく同じではないだろうか。もしそうでないのなら、今明治維新を思い起こしたりすべきではない。歴史は骨董品ではない。歴史が今と明日の行動の指針に重ならないのなら、なんで歴史に学ぶなどということが言えるであろう。
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